Coast to coast
Mar.24.r7
COAST TO COAST 1997
【COAST TO COAST】
寺山修司記念館
青森県三沢市に1997年7月に開館した【寺山修司記念館】
寺山修司は歌人、脚本家、演出家、映画監督、写真家、エッセイストと多彩な顔を持ち、どの分野においても世界的に評価されており、熱狂的なファンがいることで知られています。
47歳という若さで旅立った寺山修司。
その後、寺山の母はつ氏より三沢市に寄贈された遺品を保存公開するために、約3年の歳月をかけて建設されました。寺山修司と親しかった粟津潔氏のデザインをもとに、九条今日子氏をはじめとする元天井棧敷のメンバーなど数多くの関係者のアドバイスを得て開館を迎えました。
今回は寺山修司記念館 学芸員 広瀬有紀さんにナビゲートいただきました。
メインで建物の意匠設計を担当したのはデザイナーである粟津潔氏。ホワイエ棟外壁には149枚の陶板が貼り込まれ、寺山氏と交流のあった約30人のメッセージがにぎやかに彩っている。
広瀬さん: 延床面積約833㎡の展示棟とホワイエ棟が渡り廊下でつながっています。上空から見ると、寺山作品によく登場する「柱時計」を模した設計になっています。展示棟は文字盤、廊下からホワイエ棟までが振り子をイメージしています。
展示棟に入ると11台の机が並べられている。
広瀬さん: ケースに陳列したりするのが一般的な展示方法ですが、そのような形ではなく寺山が携わった分野ごとに分けて11台の机の引き出しの中に展示しています。1台に5つの引き出しがあるので、全部で55個ですね。彼の生前の幅広い活躍を追うには気力と体力が必要です(笑)
寺山氏の演劇は客席を巻き込む演出や仕掛けが多いが、この展示棟も訪れたお客様がただ見るのではなく、「消えていった寺山修司を探す」というコンセプトをもとにたくさんの工夫がされている。
粟津潔氏は建築家ではないが、寺山修司の専用劇場の意匠デザインをしていたことから「寺山が生きていたらこうしていただろう」という想いで設計やデザインをしたそうだ。
広瀬さん: 寺山の死後、最初は記念館ではなく文学碑をつくろうと寺山の同級生が立ち上がりました。
そして1989年、記念館の裏の森に文学碑が建てられました。デザインは粟津潔氏、短歌の選定には谷川俊太郎氏。当時の仲間たちは50代と若く活気があり、記念館もつくろうということになりました。
たくさんの仲間が関わって計画は進んでいましたが、中でも寺山の元妻 九条今日子氏の存在が大きかったです。「寺山の記念館をつくるならこうでないといけない」と細かい部分までプロデュースしました。彼女がいなければ、いわゆるホワイトキューブのような展示構成になっていたでしょう。
広瀬さんの話し方からも寺山への熱い想いを感じた。ここから全国へと彼の魅力が伝わっていくのだろう。
寺山を慕っていた仲間が熱心に各方面に働きかけ、ようやく形になったこの記念館=建築が三沢市にあることを誇らしいと感じた時間であった。
個の記念館は「記憶と記録の箱」である。
今回は個の建築としてどれくらい寺山修司に寄せるのか、その時代の記憶を受け取る箱としての建築を楽しみにしていた。
街づくりの一環としてではなく、「寺山修司」を感じてほしいという建築は、あまり設計者が見えない建築であった。寺山修司ひとりのための建築なのである。
寺山へのリスペクトと愛が形になった建築でありながらも、訪れる人をその時代に引っ張り、寺山ワールドに引き込む展示構成はとても見ごたえがあり、見終わると寺山修司という人間の魅力に強く惹かれる。
寺山をリスペクトし愛した仲間が、彼のことだけを考えてつくったこの記念館は、設計者=寺山修司なのではないかと感じた。
そして訪れた際には是非記念館のまわりも歩いて散策してほしい。三沢市のきれいな景色やきらきら輝く小川原湖の美しさもこの寺山修司記念館の魅力の一つであろう。